四月二七日のこと
やってしまった。と、そのような後悔が苛むことをわかっているのに、私はどうして手を出してしまうのか。ひとえにそれは麻薬中毒者と同じことで、ドーパミンに犯されきった脳髄は、自制を喪い体を乗っ取るので、わたしはただそれをどこか遠くから眺めながら止めることも出来ないでいる。
今日は何日経ったのかもわからないでいる。最後に自分でいられたのはいつだったのだろう。私のハイド氏は、しかしやめようと思えばやめられないということはないはずなのに、まるで制御不能の機械仕掛け。
カレンダーをめくっても、どうにも数字と結びつかない。一週間は経っていないらしい事がわかっても、なんの慰めにもなりやしない。過ぎたこと。と諦めるにはあまりに時間が経ちすぎている。
苦しむのは当たり前だ。飲むべきではないのに酒を呑んだのだから、苦しまなければならないのは当然のことだ。私というものを喪って、時間を費やして、食事も取らず、睡眠も取らず、何かを作り出そうということもせず。
こんなものが幸福なのなら私は幸福を望んだりしない。
快楽に溺れて、獣欲に溺れて、酩酊に溺れて、過ぎた時間に溺れて、絶望に溺れて、多幸感に溺れる。
まるで気持ち悪い存在に、下水にこびりついたぬめりのように、なんて気色悪い。
精神を貶めて、引き裂いて、犯して、溶かして、壊して、打ち捨てて。
器が空っぽなんじゃない。器さえもなくしてしまったら、いったいどうしてそこに幸福を満たすことが出来るのだろう。
私は何? お前じゃない何者かだ。
あなたは何? 私じゃない存在だ。
未だ現実を否認しているだけで、酔っ払った挙げ句にこんなものを書いてしまうような、気持ちの悪い存在に。なにか出来るなどと思うなよ。
月曜日、朝は良かった。喫茶店まで行ってみては、少しものが書けたので、昼前に家に帰って、途中から記憶がない。記憶がなくはない。私は、そこからゲームに手を出して、麻薬漬け。眠気に負けるまでゲームをして、現実ではしないようなおぞましい動作をさせてみてはゲラゲラ笑って、また快楽に溺れては食事も忘れ、ただひたすらに同じ動作を繰り返しては、ただ時間が過ぎるのを眺めるばかり。そうしてセーブデータを消して、費やした時間を積み上げた時間をただ消滅させて。聞くはずだったラジオをさえわすれて、ようやく、ブレーキを掛けて、ようやっとこれを書いている。
食事もせずに、糧を得ようともせずに、何かを作ろうともせずに、時間だけを浪費する最低。
最低だね、と自分がささやく。
まるで動物以下の存在だと、私をなじる。
いつだってただ時間を過ぎさせた時には、ただ快楽に溺れていたときには最悪な気分の目覚めが待っている。
誰かがそうするのではない。他ならない私がそうしている。
どうして今日は醒めたのかまるでわかりはしない。ただ醒めた。
脳が求めるもの、身体が求めるもの。まるで別人。
私という存在は、いったいどちらが本性なのか。
快楽物質が私を動かすのか? 私という存在がそれを求めさせているのか。まるで何もわからない。
わかること。ただ苦しんでいることだけ。そうやって苦しんでいる自分をさえなじって、また何も無いところへと引き込もうとするなにか。
喜ばしいことなど何もなく。今日もただ一日を終わらせてしまった。