枝葉散花

詩やら写真やらを垂れ流します。

観光地の裏道

 観光地に来ているからといって観光をしなければならない、という道理はない。

 坂を一本隔てただけで誰も寄らず静かな世界が広がっていたりする。良い景色が広がっていたとして、知られなければ存在もまた無い。(観光においては)知られていない存在に価値も無い。観光とは既知の体験である。けだし反復であって自ら存在するだけの幻になろうとする行為である。観光客なんていうものは存在するだけの幻で、夢が覚めれば消えて居なくなる。非現実的な世界観の中でのみ観光は成立するのであって、生活は不要だ。

 

 SNS映えする風景を撮るのは容易い。既知のことを真似るだけでよいのだから、そこになにかの作為は必要がない。SNSに浸り切るというのは自らの生をすべて観光にしてしまうことではないのか?

 いや、バカバカしい話だ。こんなのはただクダを巻いているに過ぎない。

 観光のための場所は散歩をするには向いていない、という方が正しいのかも。

 素通りして歩くことになんとなく罪悪感を抱いてしまうから、どうにもその場に背を向けてしまうのかもしれない。居心地の悪さを覚えるから。どうにも逆張りばかりしたくなるただの天邪鬼。

 しかし、それで良いのかもしれない。相互に距離をおいていたほうが良いのだ。生活と観光が混ざりすぎず、分離しているから逆張りしてる人間も生きやすい。

 

 今日はよく晴れていた。風が吹けば涼しく、日が差せば暖かい。湿気もなく歩くに良い日だった。青が美しく澄んでいる日だった。