枝葉散花

詩やら写真やらを垂れ流します。

FARCE的文明の散文詩

 わたしは進歩主義などというものは嫌いだ。
 わたしは保守主義などというものは嫌いだ。
 我々はただ推移する。
 我々は何も進んでなどいない。
 ただ生まれ、ただ死ぬ。
 それだけのことを、進歩だの、保守だの、いかにもオオゲサ。
 新しさと思ったものは、いつも誰かが先に歩いている。
 それに気が付かないうちだけは進歩したと思っている。
 誰も世界の限界を超えたりなどはしない。
 新しい技術。
 新しい思想。
 新しい世界。
 そんなものは何も新しくなんてない。
 ただ生まれ、ただ死ぬことを。
 永遠、無限、空白、虚無、いかにもオオゲサ。
 新しいもの、古いもの。
 そんなものは何も無い。
 人間五十年を、にわかに変化することを進歩などと。
 わたしがわたしである以上はなく。
 誰かが誰かである以上はなく。
 なんの意味も纏わない。
 ただの推移を進歩などと。
 ただの停滞を保守などと。
 なにもかもがオオゲサに過ぎて、わたしはどうにも笑ってしまう。
 真面目にしようとすればするほど、深淵さなど何も無い。
 にわかに生まれてにわかに死んで。
 苦しみたくないから生きようとする。
 苦しみたくないから死のうとする。
 それだけのことをいかにもオオゲサ。
 どんなに頑張ってみようとしても、笑えてきてしまってどうにもならない。
 わたしはただわたしを遊び。
 苦しんでみては喜んで。
 喜んでみては苦しんで。
 誰も彼もがオオゲサすぎて。
 なんでもかんでも笑ってしまう。
 ただ生きてただ死ぬだけのことを、御託を並べてみてみれば。
 使命のなんの、まるでオオゲサ。
 仕方がないね。遊びだもの。
 それでもオオゲサすぎて笑っちゃうよ。