無職の記(1)
3月22日のこと
仕事を辞めて10日あまりが過ぎた。辞めてからは毎日歩いている。ただ歩く。その他にすることがないから。ただ歩く。
そのうちに頭をよぎるいろいろのことは消えてゆき、そのようにして何かを思いつくのだろう。
てんであべこべだ。
喫茶店に足を伸ばす。ロッシーニのLa gazza ladraを聴きながら。筆を踊らせている。朝、歩き終えたときにはなにか天啓のようなものがあったのに。これを書いているいまは何も感じられない。
ただ思いついたから書いている。
キーボードを叩く指は重たすぎる。思うことと身体のスピードが不協和音をたてている。
楽しいという感情は過ぎ去って、荒涼とした風景だけがそこにある。
どうと言うことはない。家がただ散らかって荒れているからだし、そこから逃れるために外に出て歩くし、喫茶店に逃げ込むのである。
何も楽しくない。歯痛のせいで右側でしかものを噛めないからだし、知覚過敏が襲ってきてとても何かを食べようという気が起きないだけのことだ。
初めて気がついたこともある。片側だけで食べるとやたらと塩味を強く感じるようになって痛いほどになるということだ。
くだらない。
延々とバスに揺られている間は良い言葉がいくらでも浮かんできたのに。
何を書くべきなのか、何を書かないべきなのかもわかりやしない。
ただ書くという行為。
久しく忘れていたこと。
ただ書かなければならない。
あらゆる美しさや、あらゆる形式、あらゆる意味、それらを排してただ書くということ。
到底足りないからただ書いている。
暖かくなったから、ヤナギの色のネクタイを買いに出たのに何処にもありやしないから。
文字は踊らないし、筆は奔らない。
まるで意味がない。
凡庸。
意味を紡ごうとしているのかもわからない。
ただ書くということ。
降ってきたものを捉えるということ。それを思い出さなければならない。
仕事を辞めて10日あまりが過ぎた。辞めようと思って、とっくに1年も過ぎている。
漂うクラゲのようなものだ。
ただただ気楽な存在だ。
カネがあるから。
煙を吐くために叩いているのかもしれないな。
降ってきたものはその時にしか捕まえられないのだから。
テンポが重要です。
明日はマシだと良いのだけれど。