枝葉散花

詩やら写真やらを垂れ流します。

雲、流れ。

今年の空はよく荒れる。

荒々しい雲が吹き付ける風に流されて、

思うままにはならず、

気ばかりが逸っては私を置いて行き。

空の青も見えずに眺めている。

ざわついて落ち着かず、

今日の日がすぎるのを待ちまして。

暗に隠れれば落ち着きましょう。

1/90 frequencies lied.

何かがうまく行っていない。

積もった嘘に埋もれてしまって、

忘れたものがあるらしい。

青白い蛍光灯は明滅し、

水はテンポを刻んで流れていく。

行き先を思い出そうと足掻いてみても、

現在は過ぎて止まらない。

届かない場所へと手を伸ばそうと、

透明なのに見通せず。

流れたものは戻らない。

中毒者

 仕事を辞めてしまって、はやひと月が過ぎた。そんなことを何度か書いては消して、何かを書こうと思えども一向何も浮かばないというのを繰り返している。


 ほんとうはさっさと、くだらないことでもなんでも書いてしまえばいいと分かってはいる。けれどもそれは観念上のもので、身体に身についたものではないのだろう。低俗卑俗なものを出したくないと思う。他方、それを恐れて何も出来ない弱さをなじっている。技術的な方に逃げようとする完璧主義は理性の産物であって、これの支配するところに人間的文学の問題は無い。


 もとより外聞なんぞ、気にするような身分でもないだろう。高尚さを求めてみても、所詮無職の戯言。それでも長年に身についてしまった悪習を振り切ることは難しいもので、書きかけの下書きばかり増えていく。産まれ得なかった生命のように、散らばって、まとまりを持たない、喪失感が増す。こんなくだらない書き散らしを書くのにさえ苦労するのに、どうしてなにか出来ると思うのか。そんな囁きがビカビカ光る箱を見つめさせては毒沼に誘い込み、そうなればたちまち酩酊、脳を支配しては虚無的一日に変えてしまう。そうしてただただ後悔と自分への失望感を残す。

 


 一昨日はもう、完全に駄目だった。
 朝起きたときにはすでに何かが支配したかのようにパソコンに向かわせて、ただひたすらに虚無を積み上げるだけのゲームに向かわせていた。クリックを繰り返して操作キャラが動くだけのルーティン。なんの生産性もなく、それを無表情に繰り返すだけ。何が楽しいのか欠片もわからない。その時の自分を写真におさめたらさぞ恐ろしい顔をしていることだろう。


 朝起きて、眠気に抗えなくなるまで。飲み食いもろくにせずに、自分に立てた約束も破って詩も書かず。エコノミー症候群寸前の体の痛みさえ無視をして。


 この手のゲームはそれをしている最中は熱中しそれこそ時を忘れているのだが、いざ切り上げてみるとそれほど楽しいというわけでもないことに気付かされてしまう。楽しいのは最中だけのことで、なにかのきっかけがあってやめて客観視するようになると深く傷ついた気分になる。そのうち喪われた時間ばかりが気になり始めるともうだめで、たちまち離脱症状じみた苦痛が苛む。


「お前はどうしてそんな事に気づいてしまったんだ! 早くゲームにもどれ!」と。


 これは労働者時分に身に着けてしまった悪癖で、疲れ切った肉体、荒んだ精神の間隙に入り込んでくるとすっかり無心でいられるのである。私は無心になって、心を殺し切るためにそれをしていた。もしかすればそれはアルコールでもよかったのかもしれない。ただアルコールに溺れれば仕事にならなかったからゲームに走っただけのことだ。ぶつけるべきでない怒りから無心であるために、そうした。


 楽しくなくても、楽しくなれる苦しみを。ただ忘れるために、しかし、忘れようなどと、忘れる必要がなければしなかっただろう。


 本当は、無心なのではなくただ虚無なだけで、ドーパミン中毒に陥ってはヨダレを垂れ流すだけの廃人と同じであった。ただ死を看ることの苦しみを、私は、私のことについて語る言葉を未だ持たない。語りたいと思えない。


 無心でいられる間はそれもよいかもしれない。中毒者の幸福をまた非中毒者は知らない。私はそれを幸福とは思わないが、しかし、誰にもある生物的機能なのだからドーパミン中毒になっていない人間などいるはずもない。何をしてもシナプスを発火させて快楽を享受するのだ。単に対象の違いというだけの話である。

 

 私は、しかし嘘をつき続けることはもはや限界だった。私は、生きていた。私は、死ぬまで回し車を走り続けるネズミにはなれないと思った。それでも何か苦しみから逃れようとする時に、ふと魔が差す。もう何度目かもわからないが、ここ一ヶ月は長く、それから離れられていたのに、たった一日のことですべてを台無しにしてしまったのだ。


 魔力を侮ってはならないのです。ひとたび中毒になれば、本性を殺します。


 労働は依存症への入り口だ。しようがないからと嘘をついて、ひとたび嘘をつけば繰り返すしかない。そうなってしまえば自分を殺し、自分を忘れ、酔い続けるハメになる。そうして酔って、嘆いていればおかわいそうにと自分を慰め、悪魔に憑かれる。


 ほんとうはわかっている。どうにも筆が空転するのも、変に大きいことばかりを空想して逃げているだけなのだ。何からも逃げている。にわかに詩だけでも書いていれば、それでうまくいっていると思い込もうとしていただけだ。私小説みたいなものはは書きたくないなどと言って、しかし、表層をさらう勇気もないくせに、深層を見ることなど出来はしない。うまくない言葉でも、何かを形にしなければならない。そんな当たり前のことさえ出来ないことを嘆くのではない。嘆きなど、二日酔いでしかなく、そんなものに浸って目を曇らせるなどと被害者面をするんじゃない。


 そんな、ナイーブなものは本来的に私は嫌いだ。私は、気に食わないとなれば釘バットを持ち出しては振り回す蛮族で在れ。ドーパミンに支配されてヨダレを垂らすだけの廃人的生などお断りだ。


 本性を取り戻したいのなら、悪魔と戦い悪戦苦闘。一度死んだ人間が生き返ろうと思うなら、ついには虚無を殺しきれ。

objekt 0418

道に置かれたobjektは、誰にも見られず。

人々はただ歩く。

認識されなければ存在しない幻の。

美的な景観、美的な街、美的な人々。

それらは置かれたobjektとどれほどの差があるのか?

私は知らない。それただ見る。

春を夢む

雨の過ぎて朝雲の中。

清澄な明り差す山際に、古石橋の欄干も。

散る花びらを受け止め時を止め。

枯れ色過ぎて青の萌え。

山鳥の声は遠く、水音は静かに流れ。

うつつを過ぎて春を夢む。